チャクラセラピー
昨日は毎月恒例のブレスワーク。
参加人数に多少の物足りなさはあったものの、強者どもの夢の印は本当に面白い。
こういってはなんだが、
僕はいつも参加者の体験や身体のあり様や
その人間性から世界の一部を教えてもらっている。
ああ、いのちってこういう風になってるんだ、ということが目の前に展開する。
このいのちが「私」以外のものでできてることが確信的にわかる。
例えば、昨日は先史時代、石器 、火と土、女性性、火傷、竃など
いくつかのキーワードが浮上した。
これらは個を超えたルーツと自身の現実的ルーツとの共時的な物語として出現した。
僕たちの人生は何かのお印に導かれながら時を流れていくのだが、
日常意識はなかなかそれを察知できない。
僕はブレスワークのおかげで、
どうして人間はこんな生き物であるのか腑に落ちてきているが、
それを他者と共有することの架け橋になっているのが
物語的にものを見る感覚であることに
絶大の信頼を置いていることがわかるのである。
僕たちは言語的理解を生きてるのではなく、
「時間」を生きてるのである。
お印は時を切り裂いて現れる。
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