真実って?

心理セラピーの中では特に感情にフォーカスするとかの話が出るが、

僕のブレスワークでは特にそれにフォーカスしなくても自然と阿鼻叫喚の世界が展開する。

物語的に見ること、物語には必然的に感情が含まれている。

出来事と事実、ここに全てがある。

心の分析は探るものではなく、それらしきことは向こうからやってくる。

自らの目の前のことと目の奥のことに全てがある。

人々がそれぞれの観点から合意を外部に想定して、

見たり語ろうとするから「真実は何か」というようなゴールのない論戦が生まれたりする。論戦はおおかた互いの自己防衛に走るので「真実」はますます遠のく。

「神」と同じように「真善美」も実に魔術的な概念である。

それらの言葉が成リ立つ途端に反語が生まれ、

世界の複雑さと人間の成長と言われるものに寄与していく。

だが、それらはあらぬ方向のような気もする。

僕は「真実」には興味がない。

人間界の営みがまだ身に付いていないのかも知れない。

揺れ動く私であって何がいけないのか。

そして、感情は「真実」とは関係ない。


僕が10歳の時、結婚したばかりの兄が突然事故で亡くなった。

お嫁さんが三日三晩泣き崩れていたのをよく覚えている。。僕も泣いた。

しかし、お袋は涙一粒人には見せなかった。

お袋の息子を失った悲しみは泣くことも奪ったのであろうか。

そういう理解が僕の中に発生したことが「事実」なのである。

からだはうす

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