うそ

実は、僕は1年半ほど前に尺八を購入して自己流で好き勝手に吹いているのだが、ここ数日は中条きよしの「うそ」という曲にはまっている。


特に思い出も思い入れもない曲なので、このこだわりようは一体なんだろうと思っていたら、ふと気がついた。遅い夕飯時に見る毎日のニュースのせいだった。


まあ、今に始まったことではないけれど、政府と各省庁の役人の「嘘」のたらい回しが目に余る。公人たるものはこうあるべしと訓戒を垂れるつもりはないが、そのあまりの図々しさが、僕の深層領域に侵入してしまったようなのだ。


曲の詩も、男の嘘を見逃してああやっぱりそうだったのねと未練たらたらの女ごころを映すものである。昭和の演歌は変化も発展もない湿っぽーい男女関係が主調で、「そんな女いるわけねえだろう」と、どうしても笑っちゃうので僕は好きなのだが、こと実際に国を預かる者たちにそれを赦すわけにはいかないだろう。


昭和の歌詞はだいたいが「こんな俺に惚れたおまえがいけないんじゃねえ」的なものが圧倒的に多い。それはそのまま、「こんな俺たちに一票を入れたのはあんたたちなんだよ」という開き直りの態度に重なる。ホント近年は民が舐められている。いつまで彼らは昭和を生きるつもりだ。


僕たちは民族性としていろんなことを見逃してはいないだろうか。見て見ぬふりの事なかれ主義、自分可愛さの小心者、そんな人たちが民の鏡となって権力のトップに居座る。


笑って尺八吹いてる場合じゃないが、ちょっとした個人の振る舞いの発動にも集合的なエネルギーが侵入してしまうことの身をもっての体験である。それにしても、騒動のネタがなんて小さいんだ!

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からだはうす

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